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デジタル化される感性
「マーケティング・ホライズン」 '06.8月号

 人間の感性がデジタル化の技術進化によって大きく変質してきている。

例えば音楽。デジタルCDの音域は、0〜20,000ヘルツと人間の可聴出来るであろうという帯域に設定され、その他の帯域は除外されている。しかし、人間の聴覚能力は、その帯域外の音や複合的な音色を本能的に感じたり、 “ゆらぎ”に特別な情緒を感じたりする。残念ながら、“鈴虫の音色を聞くと心が落ち着く”レベルまでとなるとデジタル音源では、まだ技術的にも実現できていない。しかし、デジタル技術の特性を活かしてアーティスト達が 自然界にない新しい音源を開発し世界中のファンを魅了している。しかも、それらのデジタル音源は、インターネットを通じて膨大な量が瞬時に全世界に配信される。

視覚の感性についても同じことが言える。最近アナログ写真の世界に激震が走った。ニコンがフィルムカメラ、コニカが銀塩フィルムの製造中止を発表して話題になったのである。ここ数年来、カメラ、プリンター、パソコン、 印画紙などデジタル写真関連のトータル技術は大幅に向上し、フィルムカメラと比べ遜色のないレベルに達している。デジタル映像技術は、データーとしての劣化がなく、またコントロールしやすいため、利用範囲は拡大し、利便性は、 格段に高まっている。結果として、人間は自然の色より“鮮やかな色”に反応するようになってきている。新たに創られたデジタル・アートの世界に人々が“自然さ”を見出しているのである。むしろ“人間の目”の方がデジタル映像を 求め始めていたのかもしれない。

味覚の感性もまた然りである。最近の生活者は、自然の素材を料理した複合的な味覚より、工業化されたメリハリの効いた分かりやすい味覚に反応する。となると味覚センサーの出番である。甘み、旨み、塩味、酸味、苦味などの 濃度に応じて電圧が変化するという原理を利用した感知力の高い小型味覚センサーである。このデジタルセンサー技術を使えば、家庭においても様々な人工的な味覚素材の組み合わせを行い好みの味を容易に再現することができる。 その他、臭覚や触覚についてもデジタル技術を利用した同様の動きが見られる。

デジタル化技術(0101を信号化)の影響は、何も経済だけではない。人間の感性にも大きな影響を与えている。本来、人間の感覚や知覚などの感性は、外界の刺激を人間の感覚器官が察知することによって生じる。自然界の微妙な 変化や外敵に備える生物としての生きるための本能であり、それは、自然との共生の中で育まれてきた。しかし、自然界に存在するアナログデータや情報がデジタル信号化されると、人間の感覚器官の受信能力が劣化したり変質し始めている。 当然、感性も変化し、それに伴い人間の感情や衝動、欲望なども変質してきている。これは、人間としての進化を意味しているのであろうか、あるいは、退化なのか。はたまた、デジタル化の更なる進化は、新たな感性を持つ人類を生み 出しているのであろうか。

人間は他の生物と比べて環境適応能力は高く、しかも欲望や創造力をも持っている。デジタル化技術は、人間の感性の潜在能力を引き出す有効な手段となる可能性もある。デジタル化された新しい芸術やエンターテイメントは、 人間をワクワクさせてくれる魅力がある。また、デジタルコミュニケーション技術によりデジタル放送やインターネット上で人間の感性に訴える心地良さや情緒性の表現が確立されれば、収穫逓増の法則が働く巨大なビジネスになる。

しかし、人間の欲望や快楽をより満たすために、歯止めもなく感覚器官に対する外部刺激をコントロールし、人間として根源的な感性の変質までも狙って良いのであろうか。

人間は、自然界の中に生きる生物であり、自然と共生していかなければ生存できない生命体である。経済合理性だけで、自然を利用することの限界性も見えてきている。デジタル化技術の進化は、新たな感性を生み出していると同時に 自然からの離反も促進している。過度に自然から遊離することは、人間自身が自然からの恵みを理解できなくなり、現代の文明基盤を根底から否定することにもなりかねない。

そうならぬためには、人間は自然の豊かな奥深い動きを察知できる感覚器官を養い、そこから得られる感性を大事することが何よりも大切である。そしてまた、人間は、自然からだけでなく“人類という種”からも遊離してはならない。

要は、人間と自然と科学の“全体最適”が大切なのは言うまでもない。

(2006.8 /縄文コミュニケーション 福田博)